執筆のために集められた6万冊に及ぶ蔵書が晩年に使用した時のまま残されている司馬遼太郎記念館。
雑木が被い茂る自宅の庭からは当時のままの書斎を見ることができます。
そのまま小道を進むと、自宅の横に建てられた立派な記念館がありますが、
圧倒されるのが高さ11mの大書架です。
蔵書のうち約2万冊がこの書架に納められているとのことですが、
3階までの吹き抜けの空間が、蔵書によってびっしりと積み重ねられています。
ここは図書館で味わう空気とも異なり、司馬遼太郎と‘対話する場所’なのでしょう。
彼が生涯愛してきた蔵書に囲まれながら、
‘なにを考え、どんなメッセージを我々に託そうとしたのか。’
空間の入り口には「21世紀に生きる君たちへ」の碑があります。
「もし未来という町角で、私が君たちを呼び止めることができたら、どんなにいいだろう。」
彼は、まるで歴史の登場人物のように語りかけてきます。
自然という‘不変のもの'と、自然によって生かされている‘人’との関係。
日本の歴史を知り尽くし、国民作家として膨大な作品を残した作家が
‘たのもしく未来へ向かって歩むこと’を教えてくれるメッセージです。
このようなシンプルで力強い言葉が、多くの人々に愛され、伝えられていきますように。
是非、本を手にとってご一読ください。
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司馬遼太郎著
小学校用教科書のために書き下ろした『21世紀に生きる君たちへ』より
私は歴史小説を書いてきた。
もともと歴史が好きなのである。
両親を愛するようにして、歴史を愛している。
歴史とは何でしょう、と聞かれるとき、
「それは、大きな世界です。
かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです。」
と、答えることにしている・・・
私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。
未来というものである。
私の人生は、すでに持ち時間が少ない。
例えば、21世紀というものを見ることができないに違いない。
君たちは、ちがう。
21世紀をたっぷり見ることができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。
もし「未来」という町角で、
私が君たちをよびとめることができたら、どんなにいいだろう・・・
だから、君たちと話ができるのは、今のうちだということである・・・・
さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。
人間は・・・・繰り返すようだが・・・・自然によって生かされてきた・・・
つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。
「人間は自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。」
・・・人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。
この自然へのすなおな態度こそ、21世紀への希望であり、君たちへの期待でもある・・・・
そのようになることが、君たちへの私の期待でもある・・・・・・(引用)